福岡地方裁判所 昭和38年(わ)660号 判決 1975年3月24日
被告人 和田好弘 外四名
主文
被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人をそれぞれ罰金八、〇〇〇円に、被告人吉田順子および同生嶋喜代子をそれぞれ罰金六、〇〇〇円に処する。
被告人らにおいて右各罰金を完納することができないときは、それぞれ金一〇〇〇円を一日に換算した期間、その不完納の被告人を労役場に留置する。
被告人五名に対しいずれも、公職選挙法二五二条一項の規定を適用しない。
訴訟費用は、そのうち証人西田忠雄(一三度分)、同田淵審三、同山形忠、同藤森美智子(二度分)、同竹山ヤス、同富永としえ、同柴田三枝、同熊本信子、同鮫島十四枝、同岩下理、同田中信子、同中村照子および同斉藤文男に各支給した分ならびに証人杣正夫に支給した分(二度分)の二分の一を被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人の連帯負担とし、証人中岡規、同有江カメノ(二度分)同益田トシ子(二度分)、同大原正成および同西田幸三郎に各支給した分ならびに証人杣正夫に支給した分(二度分)の二分の一を被告人吉田順子および同生嶋喜代子の連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
第一 被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人は、昭和三七年七月一日施行の参議院議員通常選挙に際し、全国区から立候補した鈴木市蔵および福岡地方区から立候補した八島勝磨の選挙運動に従事した者であるが、共謀のうえ、右両候補者を当選させるため右両候補者に投票を得しめる目的をもつて、別紙一(一)訪問頒布一覧表記載のとおり、同年六月三〇日午後八時過ぎごろから同九時ごろまでの間、同選挙の選挙人である福岡市屋形原中ノ原九一三番地竹山ヤス方ほか八戸を戸々に訪問し、同女らに右両候補者への投票を依頼する趣旨のことを申し向けるなどし、かつ、その際右各戸において右竹山ほか八名に対し、同表「頒布した文書」欄記載のように法定の通常葉書でない別紙一(二)頒布文書一覧表掲記の(イ)ないし(ニ)の文書合計一一部および(ホ)の文書計四枚を選挙運動のための文書として使用して手交し、もつて法定外の選挙運動用文書を頒布するとともに戸別訪問をしたものである。
第二 被告人吉田順子および同生嶋喜代子は、昭和三八年四月三〇日施行の福岡市議会議員選挙に際し、立候補した筒口善見の選挙運動に従事した者であるが、共謀のうえ、右候補者を当選させるため同候補者に役票を得しめる目的をもつて、同月二八日午前一〇時前ごろから同一〇時過ぎごろまでの間、別紙二戸別訪問一覧表記載のとおり、同選挙の選挙人である福岡市塩原橋通り三丁目四組所在の西田幸三郎方ほか三戸を戸々に訪問し、同人らに右候補者への役票を依頼する趣旨のことを申し向け、かつ、その際同表記載の西田幸三郎方および徳永喜美子方において右西田および徳永に対し、表面に筒口善見の氏名および年令とともに顔写真を、裏面に「筒口さんの主な経歴」との見出しの下に同人の印刷したビラ計二枚(昭和四六年押第一三三号の九は、右西田に交付したもの)を手交し、もつて右西田らに法定外の選挙運動用文書を頒布するとともに、右西田方ら四戸に戸別訪問をしたものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人の判示第一の所為のうち、戸別訪問の点はいずれも包括して刑法六〇条、公職選挙法(以下「公選法」という。)二三九条三号、一三八条一項に、法定外文書頒布の点はいずれも包括して刑法六〇条、公選法二四三条三号、一四二条一項(裁判時においては昭和四七年法律六一号による改正後の罰金等臨時措置法四条一項に該当するところ、刑法六条、一〇条に従い軽い行為時法を適用すべき場合であるから、右改正後の罰金等臨時措置法四条一項を適用しない。)該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、いずれも刑法五四条一項前段、一〇条により重い法定外文書頒布の罪の刑で処断することとし、いずれもその所定刑中罰金刑を選択し、その各所定金額の範囲内で被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人をそれぞれ罰金八、〇〇〇円に処し、被告人吉田順子および同生嶋喜代子の判示第二の所為のうち、戸別訪問の点はいずれも包括して刑法六〇条、公選法二三九条三号、一三八条一項に、法定外文書頒布の点はいずれも包括して刑法六〇条、公選法二四三条三号、一四二条一項(前同様昭和四七年法律六一号による改正後の罰金等臨時措置法四条一項は適用しない。)に該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、いずれも刑法五四条一項前段、一〇条により重い法定外文書頒布の罪の刑で処断することとし、いずれもその所定刑中罰金刑を選択し、その各所定金額の範囲内で被告人吉田順子および同生嶋喜代子をそれぞれ罰金六、〇〇〇円に処し、被告人五名に対し各刑法一八条を適用して、被告人らにおいて右各罰金を完納することができないときは、それぞれ金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、その不完納の被告人を労役場に留置し、被告人五名に対しいずれも公選法二五二条四項により同条一項の規定を適用しないこととし、訴訟費用については、各刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条に従い、主文掲記のとおり被告人らに負担させる。
(訴因に対する判断)
(一) 被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人の判示第一の所為のうち、藤森美智子方で頒布した文書について、検察官は、本件訴因において、日本共産党中央機関紙「アカハタ」昭和三七年六月二六日付号外をも合わせて頒布した事実を掲げ、これも法定外文書頒布にあたる旨主張している。
そこでこの点検討すると、I事件第二七回公判調書中の証人藤森美智子の供述部分および押収してあるアカハタ昭和三七年六月二六日付号外計四部(昭和四三年押第一一号の九および二二。ただし、二二は四つ破りにされている)によれば、被告人和田らが別紙一(一)訪問頒布一覧表番号9の藤森美智子方において別紙一(二)頒布文書一覧表(ホ)の文書一枚とともに日本共産党中央機関紙「アカハタ」昭和三七年六月二六日号外一部(前記押号の二二)を頒布したことは認められるが、右六月二六日付号外は、その外形内容自体から特定の候補者である判示鈴木市蔵のみの選挙運動のために使用する文書といまだいうことができないから、右号外の頒布は公選法一四二条一項の違反行為を構成しないというべきである。もつとも、右は、判示法定外文書頒布行為の一個の部分にすぎないから、本件犯行の全体的な成否になんら影響を及ぼすものでもなく、また、主文においてこの点無罪の言渡をなすべきものでももとよりない。
(二) 被告人吉田順子および同生嶋喜代子と大原正成との共謀について
被告人吉田順子および同生嶋喜代子の判示第二の所為の戸別訪問の点については、検察官は、本件訴因において、同被告人らが大原正成と共謀のうえこれを行つたものと主張している。
しかし、この点審究するのに、II事件第二七回公判調書中の証人中岡規の供述部分、II事件第二九回公判調書中の証人有江カメノの供述部分、当裁判所の証人益田トシ子および同大原正成に対する各尋問調書、中岡規、有江カメノ、益田トシ子および大原正成の検察官に対する各供述調書ならびに押収してある筒口善見の顔写真、氏名、経歴入りビラ計一〇三枚(昭和四六年押一三三号の一、二および九)によれば、被告人吉田らと大原正成とは、昭和三八年四月二八日朝福岡市野間新町にあつた筒口善見の選挙事務所に赴いた際、互いに同事務所で始めて顔を合わせたものであること、双方とも名前も知らないまま、それぞれに同市塩原橋通り付近の家々を廻わる予定であつたことから同行することとなり、右選挙事務所の自動車(運転手付)に同乗して出発したこと、また、互いに右筒口の選挙運動のために出かけることは暗黙のうちに推察したものの、右車内でその後の自らの予定を話し合つたり所持する選挙運動用文書などを見せ合つたりすることもなく、当日どのような行動をするか相談して計画を立てることも全くしなかつたこと、塩原橋のバス停留所付近で三名とも下車し、互いに行き先を告げぬまま右被告人両名と右大原とは別行動に移つたこと、その後、判示中岡規方にまず右大原が訪ね、その直後ごろこれと無関係な態様で右被告人両名も同家を訪問していること、一方、判示有江カメノ方にはまず右被告人両名が訪問し、益田トシ子らから戸別訪問だとして咎められていた最中に右大原もその場へ訪れて来て、結局三名とも逮捕されるに至つたことなどの事実が認められる。そして、これらの事実を総合すれば、被告人吉田らと右大原とがともに右中岡方および有江方を訪ねたのは、右のように時間的なずれがあり、その態様においても相互に関連性の窺われないことに鑑み、これが右三名による戸別訪問の共同実行行為とみられないことはもとより、右三名の間に明示の共同謀議がなされたとみられる状況も存在せず、さらに、互いに前記筒口のための選挙運動として前記塩原橋通り付近の家々を廻わるということを推知していた以上に、右三名の間に共同して戸別訪問の犯行を遂行する意思を形成するに至つたと認めうべき状況の存在も肯定できないというべきである。
したがつて結局、本件全証拠によるも、被告人吉田ら両名と右大原との間に共同正犯関係の存在したことはこれを肯認することができないから、本件訴因のうちこの点の認定は許されないが、右被告人両名のみの犯行としても判示罪となるべき事実(第二の事実)が認定できるので、右被告人両名の罪責になんらの影響も及ぼすことのないのはもとよりである。
(訴訟関係人の主張に対する判断)
一 公訴権濫用の主張について
(一) 被告人吉田順子および同生嶋喜代子の弁護人らは、判示第二の所為について、本件はわずか四戸の戸別訪問とそのうち二軒における法定外文書の頒布の行為があつたとして起訴されたものであつて、仮に右のような事実が存在するとしても極めて軽微の事案であり、にもかかわらず同被告人らが起訴されたのは、これが日本共産党のための選挙運動であるがためにほかならず、したがつて、本件公訴の提起は、日本共産党を政治的に差別し弾圧する意図で、検察官が公訴権を濫用してした起訴であるから、憲法一四条に違反する無効なものであり、刑訴法三三八条四号に従い本件公訴は棄却さるべきである旨主張する。これに対し、検察官は、公訴権濫用の主張なるものはもともと法律上成立しえない旨主張している。
そこでまず一般的に考えると、刑訴法二四七条は、公訴は検察官がこれを行うと定めて、検察官に起訴権能を独占させ、起訴便宜主義を採用する刑訴法二四八条と相まつて、検察官に起訴不起訴に関する広範な権限を与えている。しかし、検察官のこの公訴提起に関する権能も、法治主義にたつわが憲法体系下においてはこれが絶対無制約なものということはできず、また、起訴猶予にするかどうかの裁量権も極めて幅の大きいものであるとはいえ、刑訴法二四八条に定める諸事情に鑑み何人の目にも起訴することがかえつて社会正義に反する結果をもたらすことの明らかな場合などにはもはやその裁量の限界を超えるというべきであるから、なお、いわゆる違憲立法審査権について定める憲法八一条がその審査の対象に法律、命令、規則等とともに「一切の処分」を含めている趣旨にも照らし、検察官の公訴提起処分といえども、その裁量権の範囲を著しく逸脱して違法の程度に達すれば、とりわけそれが人種、信条、思想等に基づく不合理な差別的起訴として憲法一四条に違反する場合などには、裁判所がこれを司法審査の対象とし、当該公訴の提起によつて開始された訴訟手続内でその是正を図るべきことは当然である。すなわち、起訴の違法ないし違憲であることが適正な立証手続にしたがつて立証されるならば、これに相応する終局裁判を行うのは、裁判所の権限でもあり責務でもあるといわなければならない。もつとも、右のように検察官の公訴提起に関する権能は極めて広範であり、一方、起訴処分が違法となるような場合は極めて異例のことであるから、起訴が適式になされているときは、当該事件の全審理の過程を通じてそこに検察官の裁量権の行使の著しい逸脱のあることを疑わせる特段の事情の存在が窺われなければ、当該起訴の違法でないことが事実上推定されることになるのももとよりである。
さて、以上の見地から本件について検討すると、被告人吉田らの本件所為は、たしかに判示のとおり四戸の戸別訪問とそのうち二軒における法定外文書の頒布のみである。しかしながら、戸別訪問および法定外文書頒布の罪はいずれも行政法上の形式犯であつて、もともと結果の大小が犯情に決定的な影響を持つ犯罪ではなく、また、公刊の裁判例集などに表われた事案の中にも本件程度の戸別訪問または法定外文書の罪で有罪判決を受けた例が相当量存在するから、右のように戸別訪問の戸数や頒布した文書の数の少ないことから直ちに本件が起訴猶予を相当とする事案であるということはできない。そして、本件審理の全過程から明らかとなつた諸事情、すなわち、本件犯行が発覚したのはたまたま対立候補者の支持者方に訪問したためこれが選挙違反であるとして咎められ、ついに警察に通報されるに至つたという事実、その供述態度等から検察官が略式手続に応じることを勧告してもこれに応じる見込みの全くなかつた事実等に鑑みれば、弁護人らが主張する戸別訪問等の形式犯の起訴率は全体としては低いことにもかかわらず戸別訪問等の形式犯において共産党の運動員の検挙、起訴される例の多いことなどの事情が仮に存在するとしても、本件被告人両名に対する公訴の提起(公判請求)が検察官の被量権の著しい逸脱による違法なものであることを疑わせる特段の事情の存在はいまだ窺うことができないというべきである。したがつて、仮に弁護人らにその主張事実の立証を尽させたとしても、本件公訴提起手続を違法とするまでの事由の存在は肯定できないことが明らかであるから、弁護人らの前記公訴権濫用の主張はこれを採用する理由がない。
(二) 被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人ならびに同被告人らの弁護人らは、判示第一の所為について、本件起訴は公職選挙法違反に名を借りた政治的弾圧であるから検察官が直ちに公訴を取消すことを求める、検察官は同被告人らが頒布したとされる各アカハタがいわゆる法定外文書であることの根拠を示すことができないから本件起訴が公訴権の濫用によるものであることが明らかになつたことに帰着し、本件公訴は棄却さるべきである等の主張を、本件審理の過程の各所において行つている。しかし、右主張は、その理由とするところが前後で相異なり、特殺の具体的理由も付さない極めて断片的な主張であつて、これを右(一)で採り上げたような法律的に意味のある公訴権濫用の主張とみることは困難である。のみならず、仮にこれを法律上の一個の主張と解するとしても、判示認定のような本件事案の内容、とりわけ役票日の前日に夜間三人のグループで九戸を戸別訪問して多量の法定外文書を頒布したというその行為の態様に鑑み、本件審理の全過程を通じてあらわれた一切の事情によつても、本件公訴の提起が検察官の裁量権の著しい逸脱によるものと疑わせるなんらの事由も窺うことができないから、右被告人らおよび弁護人らの右主張は内容的にも失当でありこれを採用することができない。
二 公選法一三八条および一四二条が憲法に違反するとの主張について
(一) 弁護人らの主張
弁護人らのこの点の主張は、量的に膨大で多岐にわたるが、その結論とするところは、公選法一三八条、一四二条等の選挙運動規制規定は国民の政治生活上の諸権利、自由を保障する憲法の諸条項わけてもその中核をなす憲法二一条に違反するというのであり、その理由とするところは、要約すれば次のようになる。
(1) 一般的に、法がある行為を禁止するのは、その禁止された行為が野放しになつた場合に生ずる弊害を未然に防止するためであつて、その法令の立法過程においては、その行為が野放しにされた場合これこれの弊害が生ずるという立法事実が立法者によつて認定されている。そこで、その禁止規定の憲法上の効力が訴訟手続中で争われている場合には裁判所はこの立法事実が何であるかを探究し、立法者がその禁止規定を立法するにあたつて考慮した弊害が実際に存在するかどうか、その考慮された弊害の防止すなわち立法の目的が憲法上の諸原理に照らして許容される性質のものかどうかなど、憲法に照らして立法の必要性の有無を判断しなければならない。そして禁止される行為を野放しにしてもなんらの弊害も生じないと認められるときは、その禁止規定は立法の必要性を裏づける合理的基礎を欠いて違憲という判断がされることになり、仮に立法時はそのような立法の必要性が存在していたとしても、現在までにこれが存続をやめるに至つたときも同様である。さらになんらかの弊害の存在が肯定されるときでも、その禁止規定が国民の憲法上の権利、自由に制約を加えるものである以上その制約が必要にして最少限度を超えるものであつてはならないから、その立法目的達成のために他に憲法上の権利、自由に対するより制約とならない手段があるかどうかを検討し、もしそのような手段があると認められれば、当該禁止立法はまた違憲とされなければならない。しかるところ公選法の右各規定はいずれも後記(2)のとおりその立法事実が存在しないか、たとえ立法者が考慮するに価する多少の弊害があるとしても立法目的達成に必要な最少限度を超えた禁止規定と認められるべきものであるから、被告人側にその立証を許さなければならない。
(2) 公選法の右各規定の立法事実をみると、戸別訪問禁止の根拠については、(イ)その場所的性質上、買収、利益誘導、威迫等の不正行為の温床となりがちであること、(ロ)情実や感情に訴えかけるなど選挙の品位を害するおそれがあること、(ハ)選挙運動に不当不用の競争を招くおそれがあること、(ニ)選挙人側も多数の候補者や運動員に入れ替り立ち替り訪ねて来られて迷惑を受けるおそれのあることなどがいわれ、また、文書図画頒布の制限の理由については、選挙運動用文書の無制限の頒布、掲示等を認めるときは、選挙運動に不当な競争を招き、その結果候補者の財力の差により運動に不平等を生じたりその経済的負担を著しく増大させたりし、そのためかえつて選挙の自由公正を害するおそれがあるなどといわれている。
しかし、戸別訪問禁止、文書図画頒布制限など選挙運動の形態的制限およびその禁止や制限に対する違反行為の処罰すなわち形式犯の処罰は、大正一四年の衆議院議員選挙法改正すなわちいわゆる普選法の成立後導入されたものであり、その目的とするところは、国民の要求に押されて普選法は制定されたものの、いわゆる明治憲法に基づく天皇制支配体制という本質を変化することなく、むしろこれを契機として生ずるおそれのある民主主義的政治活動を抑えるために治安維持法などとともに人権抑圧体系を形作ることにあつたのであり、第二次大戦後の憲法改正後はとうてい存続を許されるべきものではなかつたのであるが、当初は物資不足などの経済的理由を口実に特例として形態的制限が復活し、その後なしくずし的に恒常化されるに至り、選挙の公正確保のための技術的規定という装いをとりながら、実質的には金権政治を本質とする保守勢力の権力維持のために大衆的言論を武器とする民主勢力を抑圧するという政治目的に資する規定として存在している。そのことは、規定の適用面にも如実にあらわれており、戦前はこれが政府による選挙干渉の有力な武器とされたし、公選法に基づく選挙違反取締りにおいても、買収その他の腐敗行為についての取締りは甘く、形式犯の取締りは厳格に行われることにより一層民主的な選挙活動の弾圧立法として機能している。
ところで、議会制民主主義制度のもとでは、選挙こそ国民が主権者として国政に参加する基本的場であり、したがつて選挙の際にこそ国民相互間での政治的意見の自由な交換が保障されなければならない。いいかえると、選挙は、政治的な言論の戦いの場であるから選挙運動用文書や言論に制限を加えるということは本質的に許されないものであり、とくに戸別訪問という手段は、個々人が互に面と向き合つて意見を交換し合うという日常生活における基本的かつ第一次的な表現手段なのであるから、これを禁止するということは、国民の選挙への参加を否定するにも等しい。したがつて、この戸別訪問が禁止され文書図画の頒布が制限されるのは、実質的には選挙の際における国民の自由な政治討議を妨げるためであると考えられるのみならず、前記のような表面的にいわれる立法目的に即して検討しても、戸別訪問の場合、買収等の不正行為を防止するためには、買収などの不正行為そのものを厳格に取締る一方、そのような腐敗行為の根元である金権を絶つよう政治資金を民主的に規制すればたりることであり、情実に左右される、候補者にとつて煩瑣である、選挙人が迷惑する等の理由は国民に対する愚民観から出発しており、大正一四年当時はともかく社会情勢も著しく変化し国民の教育程度も著しく向上した現在においてはとうてい維持できる理由ではないし、文書図画頒布制限についても、結局は政治資金に対する規制のあり方こそが問題なのであり、これを野放しにしておいて費用がかかりすぎる等の理由で選挙運動用文書の量などに制限を加えるのは本末転倒であり、いずれにしてもそこに立法の必要性を裏づける合理的基礎は存在しない。なお、このような選挙の場などにおける表現の自由は、各個人が公共のことがらや立法問題などについて懐いた考えを選挙の有権者すなわち主権者としての全国民が聞く権利であつて、いわば公的自由というべきものであり、そのような自由を保障すること自体が公共の福祉であり、公共の福祉による制約ということはありえない。
以上要するに、選挙運動の形態と量に関する規制として包括的禁止と個別的解除という建前をとるわが公選法の形式犯処罰の規定は、全体として基本的人権の尊重、議会制民主主義などの日本国憲法の原理に背理する人権抑圧法体系を形作つているというべきであるし、とりわけ戸別訪問の禁止、文書図画頒布制限などについては、これらの禁止制限の必要を裏づける実質的かつ合理的な根拠が今日的意義においては全く存在せず、仮になんらかの防止さるべき弊害が存在するとしても極めて微々たるもので、右に述べたような表現の自由の本質、優越的地位に鑑みれば、これを制約してまで右弊害の防止のために戸別訪問等の包括的禁止や制限を行うことは許されない。したがつて、公選法一三八条、一四二条等は、立法事実を欠くか、立法目的達成に必要な最少限度を超えた禁止規定であつて、憲法二一条等に違反し無効なものである。
(二) 当裁判所の判断
(1) 公選法一三八条、一四二条等が憲法二一条等に違反するかどうか判断するにあたり、弁護人らは、右のように立法事実と称する社会的事実をその基礎に置くべきことをその主張の前提としているので、まずこの点から検討する。なるほど、一般的に、法令の立法過程において立法者がその立法の必要性を基礎づける社会的事実の存在を認定し、また、立法の結果社会事象に与えるであろう影響などを認識して当該立法を行うべきことは明らかであるし、もし立法者がその事実認識を誤るなどして立法された法令が憲法等の上位規範に牴融する結果をもたらすならば、その立法が無効とされる場合のあることもたしかである。したがつて具体的事件の訴訟の場においても、当事者がある法令の違憲無効を主張する場合、その法令の適用結果が憲法の条項の許容しない一定の事実効果を発生させる等の社会的事実に基礎を置く主張立証が許されるということも一応肯定できる。しかしながら、訴訟手続―本件においては刑事訴訟手続―内でそのような主張立証を行うには、やはり当該訴訟手続の枠を超えてならないこともいうまでもなく、刑事訴訟手続におけるときも、そのような社会的事実の存在の立証が罪となるべき事実のそれと同一の厳格な立証手続によるべき必要まではないにせよ、あくまで裁判所のする事実審理手続の構造を破壊するようなものであつてはならないというべきである。いいかえると、裁判所の事実審理手続は、とりわけ刑事訴訟の場においては、司法過程としてのその本質から、過去に一回生起した具体的事実の存否の確定にのみ有用な手続であるにすぎず、大量に発生する社会現象の全体的な把握、個々の具体的事件の複合によつて生じるいわゆる歴史の流れなどについては、たとえ法令の解釈適用の前提のためであつても、これを事実問題として裁判所の審理の対象とすることはその手続構造上不可能といわなければならない。
そこで、右のような見地から本件についてみると、弁護人らは、わが国の選挙制度そのものの歴史的変遷、これに関連する社会構造、政治体制などの変化などのいわゆる歴史の流れや、普選法当時のいわゆる選挙干渉の実態、公選法における形式犯処罰の各規定の運用状況、選挙制度に対する国民の意識、社会現象としての戸別訪問と買収の結びつきの強さなどに関する事実主張を前提として、公選法の本件各規定のいわゆる立法事実の不存在を主張立証するというのである。してみると、弁護人らの右主張事実は、まさに右に述べた裁判所の審理の対象とすることのできない、すなわち刑事訴訟手続の枠内でその存否ないし真否を確定しえない複合的ないし大量的現象としての事実関係(さらにこれに対する評価を含むもの)にほかならないから、これらについて弁護人らの立証活動を許すことのできないのはもとより、これらの事実の存在を前提として公選法の本件各規定の効力を判断することも許されないものといわなければならない。なお、立法府である国会においては、もとより右のような大量現象としての社会事象の全体的把握、いわゆる歴史の流れ、さらにはこれらに対する評価としての国民各層の意見などを立法の基礎にとりいれることが可能であり、否むしろとりいれなければならないが、司法権を行使する裁判所が法令の効力を判断したり解釈適用をするにあたり仮にその立法の基礎まで探究しなければならない場合であつても、立法府の考慮した右のような社会事象の存否や立法府のこれに対する認定の当否まで全面的に審理することは、裁判所を国会と同一の立場に置くに等しく、三権分立の大原則に背馳する結果を招くおそれがあり、その意味でも弁護人らが本件において立法事実の存否の審理のためと称して立証しようとした各事実ないし事象の存否は、当裁判所の考慮の対象としてはならないものというべきである。
ただ、法解釈も、一定の社会一定の時代の中において生きる人間のするものである以上、単純な文理解釈にとどまる場合は別として、その解釈にあたる者の一定の事実認識を前提とすることはいうまでもなく、その意味で本件弁護人らの前記のような事実主張も、弁護人らが公選法の形式犯処罰の規定を憲法二一条等に違反すると解釈するにあたり持つその事実認識と理解することができ、弁護人らの右解釈の当否を判断するにあたつてはその限りにおいて考慮に入れることができる。
(2) 以上の前提に立ち、公選法一三八条および一四二条が憲法二一条に違反するものかどうか考える。この点、これに関する立法府の立場は、弁護人らも指摘するとおり、戸別訪問の場合はこれが買収、利益誘導、威迫等の不正行為の温床となりがちであることなどから選挙運動として弊害が大きいため禁止したものであり、文書図画頒布については、選挙運動用文書の無制限の頒布を認めるときは、選挙運動に不当な競争を招き、その結果候補者の財力の差により不平等を生じる等の弊害があるため制限するというものである。そして、このような立法府の判断ないしその基礎にある社会的事象の把握については、右(1)で詳述したように裁判所が本件訴訟手続の枠内においてする審理を通じてはこれが誤つていると断じる根拠は見出せないから、三権分立の原則に鑑み、右立法府の判断を尊重すべきものである。とすれば、右立法府の認定した弊害の存在を前提とする限りは、一切の法令が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である最高裁判所大法廷の数次の判例(最高裁判所昭和四三年(あ)第二二六五号同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁、同裁判所昭和二八年(あ)第三一四七号同三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号八一九頁、同裁判所昭和二四年(れ)第二五九一号同二五年九月二七日大法廷判決・刑集四巻九号一七九九頁)に示されているとおり、憲法二一条の保障する言論、表現等の自由も公共の福祉のためその時、所、方法等についての合理的制限がおのずから存し得べきであり、右のような弊害防止のために戸別訪問を禁止し文書図画の頒布等を制限することは右の合理的制限にあたり、したがつて公選法一三八条および一四二条は憲法二一条に違反するものではないと解するのが正当である。なお、被告人吉田順子および同生嶋喜代子の弁護人らの主張中には、公選法の右各規定が憲法四四条にも違反する旨の主張がある。しかし、右主張も、前記(一)(2)に掲げた事実主張とくに右各規定が財力に頼る保守勢力よりも大衆的言論を武器とする民主勢力に対する規制として存在するとの主張を前提とするものであつて、その主張のような社会的事実関係の存在はこれまで述べて来たように当裁判所の考慮しえないものであるから、まずその前提を欠き、一方、公選法の右各規定がすべての候補者、運動員、政党等に平等に適用される規定であることは明らかであるから、右各規定が憲法四四条に違反するものでないことも多言を要しない。
(3) 以上の次第で、弁護人らの公選法一三八条および一四二条が憲法に違反して無効であるとの主張はいずれ、失当であり、これを採用することができない。
三 「アカハタ」の頒布が公選法一四二条一項の規定の違反にならないとの主張について
(一) 弁護人らの主張
被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人の弁護人らは、同被告人らの判示第一の所為のうち法定外文書頒布の点について、別紙一(二)頒布文書一覧表掲記の(イ)ないし(ニ)の各文書はいずれも、日本共産党中央機関紙「アカハタ」であつて、これを頒布することは罪とならない旨主張し、その理由として要約つぎのように述べる。
(1) 本件各アカハタは、政党本部である日本共産党中央委員会が直接発行し、かつ、通常の方法により頒布する機関新聞紙であつて、判示選挙に関し自治大臣に届出てあつたものであるから、本件当時、昭和四五年法律第一二七号による改正前の公選法二〇一条の一三(内容的に現行法二〇一条の一四にほぼ同じ。以下「当時の二〇一条の一三」という。)の規定により、公選法一四八条一項および二項の適用を受けていたものである。
(2) ところで、政党は、第一義的に議会選挙への参加を通じて政党本来の役割を果たすものであるから、政党機関紙がいわば「選挙めあて」に発行され頒布されることは、その日常的かつ本質的な性質であり、議会制民主主義の原理に立つわが憲法によつてまさに保護されなければならない。一方、選挙に関する報道および評論を掲載した新聞紙について、公選法一四八条二項が「通常の方法で頒布」することを要件としているのは、そのような新聞紙の配達先と配達量を一定にすることによつて、候補者間の一面的、形式的平等のために法定選挙葉書以外の文書の頒布を一切禁止している公選法一四二条の選挙運動用文書の量的規制を実質的に保持するということ以外にはない。とすれば、前記二、(一)で述べたように選挙運動用言論の一面的、形式的平等を保つための直接的な量的規制は、憲法二一条に照らして違憲と考えられる以上は、公選法一四八条二項の「通常の方法で頒布」という要件もまた違憲である。のみならず、一般の商業新聞紙はさておくとしても、政党機関紙の場合は、右のように選挙運動用言論を掲載することが政党の本質に照らして憲法的に保護されるべきものであるから、各政党の機関紙の全国的、時期的、階層別的などなどの発行部数のありうべき著しい相違をあえて固定化する「通常の方法」といつた要件は違憲とされなければならず、したがつてこのことからひるがえつて公選法一四二条による法定葉書への限定も実質的に無意味なものとなり、そのような無意味な目的のために刑罰を科することは憲法三一条にも違反する。
(3) 右(2)の議論はさておくとしても、公選法一四八条は、同条の適用を受ける新聞紙については「選挙に関し、報道及び評論を掲載するの自由」を保障しているが、その趣旨は同条一項但書に違反しない限り同条の新聞紙には選挙運動の制限に関する規定を適用しないということにある。そして、本件各アカハタは、前記(1)で述べたとおり政党機関紙であつて、公選法一四八条一項および二項の適用を受ける新聞紙であり、一方、前にも述べたように政党機関紙が選挙に際し自党の候補者について報道し、その候補者の経歴、抱負、写真などを目立つように掲載するのは当然であるから、それが公選法一四八条一項但書にいう虚偽の事項の記載や真実を歪曲した記載でない限り、同法一三八条の三は別として、これに選挙運動の制限に関する規定の適用は一切あるべきはずがない。すなわち、本件各アカハタが公選法一四二条一項の適用によりいわゆる法定外文書になるということはありえない。
(4) 以上いずれにしても、本件各アカハタの頒布は、公選法一四二条一項の違反行為とならず、罪とならないものである。
(二) 検察官の主張
検察官は、この点に関し、本件各アカハタが公選法一四八条一項および二項の適用を受ける政党機関紙であることを前提としながらも、これが法定外文書であることの根拠についてつぎのように主張する。すなわち、公選法一四八条の適用を受ける新聞紙であつても、特定候補者の当選を直接の目的として右候補者に対する投票依頼の趣旨を専らにするような記事を掲載した場合は、もはや同条一項にいう報道評論の範囲を逸脱したものであるから、これが公選法一四二条にいう「選挙運動のために使用する文書」にあたり同条による規制を受けるのは当然である。そして、本件各アカハタは、その掲載記事の外形、内容およびその使用形態からみて、これが専ら特定の候補者に当選を得しめる目的をもつて右候補者に対する役票依頼の趣旨の記事の掲載された文書であつて、かつ、その目的で頒布されたものであることが明らかであるから、その頒布行為は法定外文書頒布罪を構成する。
(三) 当裁判所の判断
(1) I事件第四四回公判調書中の証人舟越甲一の供述部分、舟越甲一の裁判官に対する供述調書(I事件第四五回公判調書添付の速記録)ならびに押収してあるアカハタ昭和三七年六月二〇日付号外計九部(昭和四三年押第一一号の七のうちのもの、一三のうちのもの、二四および二八)、アカハタ同月二四日付号外計九部(同押号の八、一三のうちのもの、一七、二一、二五、二九および三〇)、アカハタ日曜版同年七月一日付号外計二部(同押号の一一および一九)およびアカハタ同年五月二八日付特別号外計三部(同押号の一三のうちのもの、二六および二七)によれば、別紙一(二)頒布文書一覧表掲記の(イ)ないし(ニ)の各文書(以下「本件各アカハタ」という。)が日本共産党中央委員会の発行した同党中央機関紙であること、判示第一の参議院議員通常選挙の際に、当時の公選法二〇一条の一三第一項の要件を充たし、公選法一四八条一項および二項の適用を受けるべき「新聞紙」であつたことは肯認できる。また、被告人和田好弘、同杉村泰雄および同原口好人の当公判廷における各供述中には、同被告人らは、当時、日本共産党中央機関紙である日刊アカハタおよび日曜版アカハタを受持ちの定期購読者に対し定期的に配布することや一定地域において読者勧誘に歩いたりする活動に従事していた旨の供述があり、右各供述が真実に反すると認めるべきなんらの証左もないから、右各供述にしたがえば、同被告人らは、公選法一四八条二項に定める「新聞紙……の販売を業とする者」(本件の場合、商業紙の概念に対応させていえば、小売店の販売外交員)にあたると認めることができる。
(2) そこで、公選法一四八条一項および二項の適用を受ける新聞紙の頒布行為が公選法一四二条一項の違反行為になることがあるかどうか考えてみるのに、同条による選挙運動用文書の量的規制が憲法二一条に違反して無効であるとの弁護人らの主張については、これを採用しえないことは前記二、(二)に詳述したとおりであるから、これを前提として公選法一四八条の適用を受ける新聞紙について同条二項の「通常の方法で頒布」という要件を設けること自体違憲であるとの弁護人らの主張もこれを採用しえない。しかし一方、一般の商業新聞紙はさておき、当時の公選法二〇一条の一三によつて公選法一四八条一項および二項の適用を受ける政党機関紙についていえば、議会制民主主義の原理をとる憲法のもとでは、政党は、まさに各種選挙を通じ国会議員や地方団体の首長、議員を自党派の者で占めることにより、その政治主張を実現することを目的とする団体であることをその本質とするから、政党機関紙が選挙に際し自党の候補者らに関する記事および評論を専ら掲載し、内容的にも自党の候補者らに有利なものを掲載することになるのは不可避であるというべきであるし、また、それも政党の本質に照らせば許容されるべきである。すなわち、当時の公選法二〇一条の一三によつて政党機関紙による政党の選挙期間中の政治活動を許容した以上は、政党の政治活動という形態をとおして選挙の結果に一定の影響を及ぼすべき文書の頒布を肯定せざるをえないのである。その意味で、政党機関紙の場合、これに自党の候補者らの経歴、抱負、選挙活動状況などの記事や写真を掲載し、一応は公選法一四二条一項にいう選挙運動用文書とみられる外形を持つときでも、それが単に政党機関紙の名を冠しただけの、特定候補者への投票を明示的に依頼する宣伝文書であるときなどは別として、直ちには同条による規制の対象とならないと解するのが正当である。もつとも、右のような政党機関紙も全く無制約に頒布しうるものではない。当時の公選法二〇一条の一三および公選法一四八条二項は、これが通常の方法で頒布されることを要件としている。そして右要件は、候補者の頒布する選挙運動用文書についてその無制限な頒布から生ずる弊害防止のために公選法一四二条が設けられている趣旨に鑑み、右規定の目的とするところと右に述べたような政党の政党機関紙活動の必要性ないし利益との調和のために存在するというべきであり、公選法一四二条が前記のように合憲と認められる以上は、公選法一四八条二項の制約も同様の合理的制限として合憲といいうることも当然である。したがつて結局、政党機関紙は、これに自党の候補者らに有利な記事および評論が掲載してあつても、これが公選法の政党機関紙としての要件を充たし、かつ、当該機関紙の通常の頒布の流れにしたがつて選挙の前後を通じ変らぬ方法で頒布されている限りは、その頒布が公選法一四二条一項の違反になることはないというべきである。
問題は、公選法一四八条二項にいう「通常の方法」によらない頒布をした場合である。同項にいう「販売を業とする者」でない者、すなわち政党機関紙にあつては通常の頒布の流れの中で頒布の仕事にたずさわつていない者が単独に政党機関紙の特定号を特定候補者の選挙運動のために頒布したときは、たまたま政党機関紙として印刷された文書を当該候補者の選挙運動用文書として利用したものであつて、政党機関紙の頒布としての本質を欠くから、もとより公選法一四二条による規制を受けることとなる。一方、右の販売を業とする者が通常の方法によらないで頒布したときは、公選法二四三条六号に公選法一四八条二項違反として直接にこれを処罰する規定がある。しかし、公選法二四三条六号は、通常の方法によらない頒布が特定の候補者のための選挙運動として行われる場合と、そのような特定の候補者の当選を直接の目的としないでする場合とを区別しないで、ただその頒布方法の規制に反したこと自体を処罰するものである。とすれば、その通常の方法によらない頒布が特定の候補者のための選挙運動として行われたときは、当該機関紙を選挙運動用文書として利用したものであるから、いうまでもなく公選法一四八条が新聞紙等に選挙運動を許容したものでもなく、当時の公選法二〇一条の一三も政党が政治活動としての政党機関紙の発行頒布を許容するのみで、直接の選挙運動としてこれを行なうことを認めたものではない―わが公選法の建前はあくまで個々の候補者が個別的に選挙運動を行うという原則をとる―ことに鑑み、これが頒布できる選挙運動用文書を法定葉書のみに限定しようとする公選法一四二条一項に直接的に違反する結果を生ずることとなり、その面での違法性は、公選法二四三条六号によつては評価し尽されていないといわなければならないから、公選法一四二条一項違反の側面では公選法二四三条三号の罪が成立すると考えるのが相当である。そして、公選法二四三条六号の罪と三号の罪とは講学上いわゆる法条競合の関係に立つと考える余地もないではないが、右のように六号の罪が当該所為の三号の罪にあたる側面の違法性を完全に評価し尽していないと考えれば、両者は刑法五四条一項前段にいう観念的競合の関係にあると解するのが相当である。なお、右に述べたような解釈が憲法二一条や三一条に違反するものでないことは、これまで繰返し述べて来たことから明らかである。
(3) さて、以上の前提に立ち本件各アカハタについて検討すると、本件アカハタの別紙一(二)頒布文書一覧表「記載内容」欄掲記の各記事写真部分が特定候補者への投票を明示的に依頼する宣伝文書であるとはいまだ認められないから、これらが直ちに公選法一四二条一項の規制の対象になるということはできない。しかし一方、右記事写真部分は、その読む者に当該候補者への投票を呼びかけられたものと受け取られるような内容を持つから、これが選挙運動のために使用されれば、まさに選挙運動用文書となりうる外形を持つということも肯定できる。
したがつて、本件各アカハタの頒布が公選法一四二条一項の違反となるかどうかは、その頒布を業とする被告人和田らが通常の方法によらないで、かつ、特定の候補者のための選挙運動としてこれを頒布したものかどうかにかかるところ、まず通常の方法によらない頒布かどうかについては、前掲「証拠の標目」挙示の関係各証拠によれば、別紙一(一)訪問頒布一覧表面接者欄掲記の竹山ヤスほか八名がいずれも日刊アカハタまたは日曜版アカハタの定期購読者ではなく、購読方を申し込んでいた者でもなかつたこと、被告人和田らが本件各アカハタを交付するにあたりこれに定価が明示してあるにもかかわらずその代価を要求することもしなかつたこと、交付したアカハタが最も古いものは交付した日から一ヶ月も前のものを含み、また、同一日付のものを二部一緒に交付するなどもしていること、同被告人がその交付にあたりアカハタの購読そのものを求める言辞を申し向けたのはわずかに熊本信子方のみであり、いずれの家においても交付前にアカハタを読んでくれるかどうか相手方の意向を聞く態度を全くとつていないことなどが明らかであるから、本件各アカハタの頒布がアカハタの通常の読者に対する頒布でないのはもとより、アカハタそのものの購読の勧誘行為とみうる余地なく、一般に政党機関紙の通常の頒布方法として考えうる一切の行為形態に照らしても、これをアカハタの通常の方法と認めることはできないといわなければならない。
さらに、右各証拠によれば、被告人和田らが本件各アカハタの頒布にあたり、右熊本方および鮫島十四枝方を除けば、例えば田中信子方においては「明日の選挙には共産党の鈴木市蔵、八島勝磨をお願いします」と、竹山ヤス方においては「明日の選挙には鈴木市蔵の市は『市』を書かないと無効になります」と述べるなどそれぞれ鈴木および八島候補者への投票を明示的依頼していることが明らかであり、また、本件選挙において全国区に日本共産党から立候補した者は岩間正男および鈴木市蔵の両名であつたのに、本件各アカハタのうちの六月二〇日付号外、六月二四日付号外および七月一日付日曜版にはいずれも、全国区の候補者としてはいわゆる地区割りで西日本地区を割り当られたとみられる鈴木市蔵に関する記事しか掲載されていないこと、すなわち、被告人和田らがことさらそのようなもののみを頒布したことが窺えるから、同被告人らの本件各アカハタを専ら右鈴木および八島両名という特定の候補者のための選挙運動のために頒布したものであることも十分肯認できるといわなければならない。すなわち被告人和田らの本件各アカハタの頒布行為は、まさに公選法一四二条に違反する場合の前述したような要件を充たしていると認められるのである(なお、公選法二四三条六号の罪の成否については、これが訴因に掲げられていない以上、本件において言及する必要がない)。
(4) してみれば、被告人和田らの本件各アカハタの頒布が公選法一四二条に違反することも結局肯定できるから、この点に関する検察官の主張は結論において正当であり、これに反し、弁護人らの前記主張はいずれも失当でありこれを採用することができない。
よつて、注文のとおり判決する。
(裁判官 松本時夫 早船嘉一 清田嘉一)
別紙一 (一)訪問頒布一覧表
番号
訪問・頒布時刻
訪問・頒布場所
面接者
頒布した文書
別紙一(二)頒布文書一覧表掲記の
昭和四三年押第一一号の
1
午後八時半ごろ
福岡市屋形原中ノ原九一三番地 竹山ヤス方
竹山ヤス
(ハ)の文書一部
一七
2
午後八時半ごろ
右同番地 富永としえ方
富永としえ
(ホ)の文書一枚
一八
3
午後八時半ごろ
同中ノ原九一一番地 浦田ミツ方
岩下理
(ホ)の文書一枚
4
午後八時四〇分ごろ
同中ノ原番地不詳 中村照子方
中村照子
(ニ)の文書一部
一九
5
午後八時四〇分ごろ
同中ノ原九六一番地 田中信子方
田中信子
(イ)の文書一部
(ロ)の文書一部
(ハ)の文書一部
二七
二八
二九
6
午後八時四〇分ごろ
同中ノ原九六二番地 熊本信子方
熊本信子
(ハ)の文書一部
三〇
7
午後八時過ぎごろ
右同番地 鮫島十四枝方
鮫島十四枝
(イ)の文書一部
(ロ)の文書二部
(ハ)の文書一部
二六
二四
二五
8
午後八時五〇分ごろ
同中ノ原九二一番地 柴田三枝方
柴田三枝
(ハ)の文書一部
(ホ)の文書一枚
二一
二〇
9
午後九時ごろ
同中ノ原九一六番地の四 藤森美智子方
藤森美智子
(ホ)の文書一枚
二三
別紙一 (二)頒布文書一覧表
文書の標題等
記載内容
(イ)
日本共産党中央機関紙「アカハタ」昭和三七年五月二八日付特別号外
「日本共産党参院選予定候補者一覧」との見出しの下に福岡地方区の予定候補者として八島勝麿の顔写真および氏名、年令、党役職の説明記載のあるもの
(ロ)
日本共産党中央機関紙「アカハタ」昭和三七年六月二〇日付号外
「われらの全国区候補鈴木市蔵さんを参院へ」「元気いつぱい八島勝麿候補、福岡地方区」との各見出しの下に右両名それぞれについてその選挙運動の状況、略歴などの記事および写真を掲載したもの
(ハ)
日本共産党中央機関紙「アカハタ」昭和三七年六月二四日付号外
「参議院選挙日本共産党候補者一覧」との見出しの下に全国区の欄に鈴木市蔵および福岡地区の欄に八島勝麿の各顔写真および氏名、年令、党役職の説明記載のあるもの
(ニ)
日本共産党中央機関紙「アカハタ」日曜版昭和三七年七月一日付(通巻四、〇三三号)
「期待あつめる鈴木市蔵候補(全国区)」との見出しの下に同人の選挙運動の状況、政見などの記事および写真ならびに「地方区候補者―西日本」との見出しの下に福岡地方区候補者として八島勝麿の顔写真を掲載したもの
(ホ)
(標題のないビラ)
「日本共産党全国区鈴木市蔵」「日本共産党地方区八島勝麿」との記載およびその下欄に推せん団体として一三団体名の記載のあるもの
別紙二 戸別訪問一覧表
番号
訪問場所
面接者
1
福岡市塩原橋通り三丁目四組 西田幸三郎方
西田幸三郎
2
右同 中岡規方
中岡規
3
右同 徳永喜美子方
徳永喜美子
4
右同 有江カメノ方
有江カメノ